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導入してみたよ。
あと、「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」買っちゃった
旧日本軍について
本を読んだので、ちょっと紹介してみる。
「未完のファシズム」は、第一次大戦や日露戦争の時期から日本の軍隊や思想について語り、なぜ日本がその後の戦争に引き込まれざるを得なかったのかを説明してくれる。
「日本軍と日本兵」は、第二次大戦時のアメリカの資料をもとに、日本軍や日本兵についてどのような見られ方をしていたのかがわかる。
僕自身、どう戦っても負けることがわかっていたのに、なぜ日本はアメリカとの戦争に突っ込んでいたのか不思議でならなかった。
(1940年、総力戦研究所というのが設立されていた。各官庁、陸海軍、民間から若手エリートを集めての机上演習の結果、日本必敗という結論を出したらしい)
「未完のファシズム」を読んでみて感じたのは、「戦争に向けて流れができるのは仕方がなかった」というのと、「そもそも日本の権力構造が間違って設計されていたから、その流れを誰も止められなかった」ということだ。
「日本軍と日本兵」を読んで知ったのは、「日本軍は非合理なことばかりしていると思っていたが、仕方のない面もあった」ということだった。
順を追って説明する。
■「未完のファシズム」を読んで思った1つ目。
「戦争に向けて流れができるのは仕方がなかった」
これは、「日本は植民地が少なかったから、ブロック経済ができなかった。そこで資源を得るためにアジアへ向かった」、ということなのだと僕は思っている。
よく日本は「持たざる国」で、イギリスやアメリカは「持てる国」だったと聞くが、そういうことだろう。
さて、日本の陸軍の中には、日本が持たざる国であることに対して2つの派閥があった。
皇道派と統制派である。
皇道派は、言ってみれば「日本は持たざる国なのだから、それらしくある程度弱そうな敵と戦おう」という立場で、
統制派は、「持たざる国である日本を持てる国にするために、満州を得よう、ソ連のように経済を統制して国を発展させていこう」という立場だ。
皇道派では小畑敏四郎、統制派では石原莞爾や永田鉄山、東條英機が紹介されていた。(石原は厳密には違うらしいけど、系統的には統制派と目されていた)
この派閥の考え方は戦い方の違いからくる。
まず、第一次世界大戦によって、「戦争というのは弾薬を大量に使う、総動員体制にならざるを得ない」ということが欧州で知れ渡った。
日本でも軍人や一部知識人はそのことをしっかり学んでいた。
そのため、持たざる国である日本が資源を浪費する戦争をしなければならない、というジレンマに悩み苦しんでいた。
これに適応するための方策が上記の2つの立場であったということだ。
ちなみに、1925年に行われた「宇垣軍縮」では、弾薬を必要とする、機械化された戦争への適応のため、歩兵部隊が主に削減され、浮いた金で戦車や飛行機部隊が新設されていた。
さて、皇道派で小畑敏四郎を挙げたが、本では特に彼の殲滅戦思想について取り上げられていた。
「精神力や鍛練をしっかり積んで、包囲・殲滅すれば寡兵でも敵を倒せる」という話なんだけど、敵を包囲してもそんなに簡単に敵を倒せるとは限らない。
敵が強かったら倒せないかもしれない。この「敵」というのは、暗黙のうちにそれぐらい弱い敵という前提条件が加わっていた、というわけだ。
でも、敵が誰かを決めるのはあくまで外交的な結果であり、政治の仕事なので、軍が口を挟んでいい問題ではない。
だから、あくまで「敵には常に側面から包囲殲滅せよ」ということを表向き述べていた。
そして、皇道派の小畑や荒木といった面々は、政治と軍が密接にかかわって、強い敵とは戦わないで済むようにしていくべきだと考えていた。意外と現実的だったのだ。
だが、満州という利権についてはソ連とぶつかる危険性がある。仮想敵国ソ連に対しても、防衛線を越えてきた軍とだけ戦うようにしたい。
対する統制派は、まあわかりやすい。
石原が満州事変を起こしたのも、手っ取り早く日本を持てる国にするためであった。
まあ、石原が狂信的に日本対アメリカの最終戦争を見ているのに対して、永田はわざわざアメリカを敵に回す理由がよくわからなかったらしいのだけど。(アメリカは当時の日本の主力産業である紡績業の最大の輸出先だった)
石原がいうには、日本に不足している重要な資源は、「石炭・鉄鋼・石油・鉛・亜鉛・ニッケル・アルミニウム・マグネシウム・綿花・羊毛・ゴム・バルブ・塩」である。そのうちのかなりのものは満州で生産供給が可能であった。
だから、満州五カ年計画によって満州を開発していこうとしていた。
まあこういった形で陸軍内の2つの派閥が争って、結局統制派が勝って、満州で好き勝手やってるうちにアメリカから最後通牒を突きつけられた。
日本の社会としても、政治や経済で解決できないとみていたんだろうな。
(金融政策で結構なんとかなったんじゃねーの?って私見としては思うけど。高橋是清とかいたじゃん。金解禁のあたりの金融政策はいっぺんさらっておきたい)
■ほんで、「未完のファシズム」を読んで思ったことの2つ目。
「そもそも日本の権力構造が間違って設計されていたから、その流れを誰も止められなかった」
日本史の教科書でも、「元老政治」とか、「統帥権干犯問題」について書いてあるよね。
統帥権干犯問題が一番説明しやすいから、それを例にとる。
「統帥権」というのは、軍の指揮権だ。これは、大日本帝国憲法では天皇が握るものとされていた。
今の日本と違って内閣総理大臣が軍の指揮をとれない。文民統制がきいていない状況だ。
でも、実際に天皇に指揮をとらせて責任を負わせることなんてできるはずがない。
運用上では、明治維新を担った元老たちがこれをするはずであった。
でも、元老たちが死んだあと、統帥権は宙に浮いてしまい、誰も手綱を握れなくなってしまった。
こういったことがいくつもあった。
例えば内閣総理大臣の指名。現代日本では国会で決まるが、当時は政党政治が当たり前ではなかった。
あれは天皇によって指名されていたのだけど、それも元老たちの助言によって補われていた。
こういった形で、制度になっていない権力が元老に集まっていたのに、元老が死んで宙に浮いてしまった。
天皇にも責任を負わせられない。だから、誰も責任を取れない。
誰も、戦争に向かう流れを止められなかった。
■そして、最後。
「日本軍と日本兵」について。
「日本軍は非合理なことばかりしていると思っていたが、仕方のない面もあった」
例えば、対戦車歩兵。
戦車に対しては空から爆撃したり、対戦車砲でどかーんとやったりする。
でも、日本はそういう兵器があまり作れなかった(資源不足?)ので、歩兵が爆弾とかで戦車を撃退しようとしていた。
成功率はあまり高くなかったらしいけど、兵器がないから人を使うしかない、と。
たしか、ベトナム戦争でもゲリラがやってたんだっけ?
あるいは、バンザイ突撃。
日本兵はバンザーイと叫びながら突撃をすることがあった、らしい。映画とかでもやってるが。
これは、陣地を失って取れる手もなくなってしまった末の、半ばヤケクソ的なものだったらしい。
案の定、というか、あまり敵に損害も与えられない。
特筆すべきなのは、日本軍が一度陣地を築くと、なかなか手ごわかったらしい、ということ。
弾をムダにしないようにしっかりと敵を引き付けてから撃つので、アメリカはかなりてこづったらしい。
なかなか、旧軍に対する考え方を変えてくれた本だった。
日本の統治構造に起因する問題については、以下の本も詳しそうなので、いずれ読んでみたい。
職掌をしっかり決めない日本企業の雇用制度(メンバーシップ型雇用)に関する話が最近盛んだけれど、
それって、こういうところにも表れていたんじゃないかという気がしてならない。
組織のデザインってしっかりやらないといけないよなあって思う。
日本橋の金魚
あと2週間ほど
行くことになる。
投稿許可を得るの果てしなく面倒くさそうなので、結局なにも書かないかもしんない。
なんかごめん。
せめて読書記録とかは書こうかなと思うよ。
来週から
いよいよ某所に行ってきます。
許可など得たら、詳細を書こうと思います。
しばらくは留守にしますので、あいごめん。
情報の経済学の続き シグナリング、コミットメント、スクリーニングと逆選択
昨日、てかもう一昨日になるけど取り扱った「戦略的思考の技術」から、情報の経済学についてのトピックを紹介する。
今日のアジェンダはタイトルの通り、シグナリング、コミットメント、スクリーニング、逆選択についてだ。
これらは全て、ある横串に通すことができる。
それは、「情報を持つ者から情報を持たない者へ、情報が行きわたるようになる」ということだ。
情報を持つ者のことを「情報優位者」と呼び、情報を持たない者のことを「情報劣位者」と呼ぶ。
例えば、赤頭巾を例に出そう。
赤頭巾がおばあさんの家に行ったとき、赤頭巾にはベッドで寝ている人が本当におばあさんかどうかがわからない。
この時、ベッドで寝ている人(本当におばあさんだとする)、おばあさんは自分が本当におばあさんだと赤頭巾に信じてほしい。
◆
このときに出てくるのが「シグナリング」だ。戦略的に相手にシグナル(合図)を送り、それによって自分の立場をより好ましいものにしようとする行動である。
シグナリングが有効となるためには、2つの原則がある。
1つは、シグナルが相手にはっきりと認識可能であること、
2つ目は、シグナルを発生させるのにコストがかかるということ、である。
おばあさんが赤頭巾に信じてもらうには、この2つを満たすようなシグナルを送らないといけない。
例えば、「おばあさんがいつも赤頭巾に作っているのと同じ味の料理を作る」といったことが当てはまる。
これなら、赤頭巾にも認識可能であるし、料理を作るのにはコストがかかる。
というか、「いつも作っているのと同じ味」を出すのにコストがかかる(もしもおばあさんでなかったら、事前にその味を調べて、再現できるように特訓しないといけない)
◆
「コミットメント」というのは、自分の選択肢をあえて狭めることで相手に情報を伝え、それによって自分の立場をより好ましいものにしようとする行動だ。
例えば、ベッドで寝たきりのおばあさんは、「病気にかかる」という行為によって、「自分は寝たきりで自分の食べ物すら用意できない」という情報を赤頭巾に送り、それによって看病してもらうことができる。
コミットメントが有効となるためには、それが信頼できる情報でないといけない。
もしも「病気で動けない」はずのおばあさんが、そのことを自分の足で歩いて伝えに来ていたら、その情報には信憑性がないと感じられるだろう。
◆
「スクリーニング」とは、情報劣位者が情報優位者から情報を引き出そうとすることを言う。
赤頭巾がベッドにふせっている人から本当におばあさんかどうかの情報を引き出すことである。
このためには、相手の属性やタイプによってシグナルを出すインセンティブの強さがはっきりと異なる必要があるのだ。
ベッドにふせっている人はおばあさん本人または別人である。
シグナリングの事例で扱った「おばあさんがいつも赤頭巾に作っているのと同じ味の料理を作る」では、
おばあさん本人と別人とでは、作るコストが異なる。おばあさんの方が楽だ。
なので、おばあさん本人であることを確認するためには適切なスクリーニングであるといえよう。
(ただし、おばあさんが本当に病気でふせっている場合はコストがかなり高いので、もっと適切な例があると思う)
◆
一方で、「逆選択」というのは、意図せずにスクリーニングを行ってしまうことだ。
これはよく保険を例にして説明される。
保険は、それぞれの加入者が直面するリスクを集めて共有化することで意味を持つ。
例えば車両保険を挙げると、個々の加入者が1年以内に事故に会う確率が0.1%だとして、事故に遭った場合100万円の損失が出るとすると、
100人が1000円ずつお金を出し合って保険を設立すると、
0.1%の確立で100万円の損失が出る可能性を気にして100万円がんばって貯金するよりも、
100万円の0.1%の1000円を最初に出してもしもの損害が完全に補てんされる方が望ましい。
こういう保険があったとして、実際には個々の人の事故に遭う確率は一定ではなく、1%の人もいれば0.001%の人もいる。
1%の確率で事故にあう人からすると、事故の損失の期待値は100万円の1%である1万円なのに1000円支払えば全額補てんされるのだから、お得に感じ、積極的にこの保険に入るだろう。
一方で、0.001%の人からすると、事故の損失の期待値は100万円の0.001%である100円なのに1000円も支払わないと全額補てんされないのだから、損だと感じ、この保険には加入しないだろう。
このように、情報優位者の性質によって出てしまう差を意図に反してあぶりだしてしまうのである。
以上、今回は情報の経済学からトピックを取り扱ってみた。
役に立つので、実践されるとよいだろう。
同時手番ゲームと逐次手番ゲーム
この本。読んだのは随分昔なのだけれど、良い本なのでちょっと紹介しようと思う。
サブタイトルにはゲーム理論と入っているけど、Amazonのレビューにもある通り、ミクロ経済学の応用分野である「情報の経済学」がメインだと思う。
目次としては、
第1章 戦略
第2章 先読みと均衡
第3章 リスクと不確実性
第4章 インセンティブ
第5章 コミットメント
第6章 ロック・イン
第7章 シグナリング
第8章 スクリーニングと逆選択
第9章 モラル・ハザード
第10章 値引き競争
第11章 オークション
となっていて、なかなかページを開きがたく思われるかもしれないが、
難しい数学の類は使われておらず、身近な例によって情報の経済学のトピックを解説している。
日常にも活かせる分野だと思うので、ぜひ読んでみることをおすすめする。
・・と、これだけだと丸投げなので、ざっくりとした説明を試みようと思う。
まず、「戦略」というのは自分の取れる選択肢のことだ。
そして、自分のとる戦略だけでなく、他人のとる戦略がお互いの利害を決めるような環境のことを「戦略的環境」と呼ぶ。
ゲーム理論ではこうした戦略的環境を分析するためのツールを提供している。
なお、戦略をもって行動する主体のことをプレイヤーと呼ぶ。
ゲームは大きく分けると2つに分かれる。
プレイヤーが同時に行動するか、それとも何らかの順番にしたがって行動するか、だ。
この同時に行動するゲームのことを「静学ゲーム」や「同時手番ゲーム」などと呼ぶ。
同時手番ゲームでは、図のようなテーブルを描いてゲームを考える。
このゲームは、有名な「囚人のジレンマ」を使っている。
「問題[編集]
共同で犯罪を行ったと思われる囚人A、Bを自白させるため、警官は2人に以下の条件を伝えた。
もし、お前らが2人とも黙秘したら、2人とも懲役1年だ。
だが、お前らのうち1人だけが自白したらそいつはその場で釈放してやろう(つまり懲役0年)。この場合自白しなかった方は懲役10年だ。
ただし、お前らが2人とも自白したら、2人とも懲役3年だ。
この時、2人の囚人は共犯者と協調して黙秘すべきか、それとも共犯者を裏切って自白すべきか、というのが問題である。 なお彼ら2人は別室に隔離される等しており、2人の間で強制力のある合意を形成できない 状況におかれているとする。 (例えば自分だけが釈放されるように相方を脅迫したり、二人共黙秘するような契約書をかわしたりすることはできないと言うこと)。
囚人A、Bの行動と懲役の関係を表(利得表と呼ばれる)にまとめると、以下のようになる。 表内の(-○、-△)は囚人A、Bの懲役がそれぞれ○年、△年であることを意味する。 たとえば表の右上の欄はA、Bがそれぞれ協調・裏切りを選択した場合、A、Bの懲役がそれぞれ5年、0年であることを意味する。」
(Wikipedeaより抜粋。懲役何年か、のところは先に書いた図を修正するのが面倒だったので文章の方を変えた)
こんな感じで問題が出たときに、同時手番ゲームでは「Bが自白するとしたらAは自白したほうがいい」「Bが黙秘するとしたらAは自白した方がいい」という風に、
相手の行動を「先読み」して考える。Aから見たBの行動とBから見たAの行動を両方見て、結局こいつらこの行動になるよね、というのを「ナッシュ均衡」という。
ナッシュ均衡は、定義としては「どのプレイヤーも、行動を変えることで自分の利得が上がらない」ような状況のことをいう。
で、プレイヤーが順番にしたがって行動するゲームのことを「動学ゲーム」とか「逐次手番ゲーム」と呼ぶ。
さっきの囚人のジレンマを、Aが行動してからBが行動するという逐次手番ゲームに変える。かっこの読み方はさっきと同じで、(A,B)の順番
逐次手番ゲームでは、図のような樹形図を描いて、「後ろ向き帰納法」というもので考える。
手番が後ろの人の立場になって考えるというものだ。この場合はBからいく。
上のBは「Aがすでに自白を選択している状況では、Bは自白を選択した方がいい」、下のBは「Aがすでに黙秘を選択している状況では、Bは自白を選択した方がいい」。
Bの戦略について考えたら、Aの戦略について考える。
「Aが自白を選択したらBは自白し、Aが黙秘を選択したらBは自白するということがわかっている状況では、Aは自白を選択した方がいい」となる。
戦略の比較は、自分がどっちの方が得するか(つまり利得)を見て考える。
このようにして同時手番ゲームと逐次手番ゲームを考えることができる。
・・と、これが第2章までのあらすじ。
この先はゲームに確率を導入したり、プレイヤーの見えない性質「タイプ」を導入したりして考えていくことになる。
面倒だけど、考えると楽しいし、それこそゲーム感覚で読み進んでいけると思う。
情報の経済学のトピックは日常にも活かせるし、管理会計で扱ったように仕事にも生かせると思う。
選択肢があるところでは必ず判断の役に立つのだ。
夜勤はつらい
昨日は夜勤だったのですごく眠い。
またしばらくはないから良いけど、体力的にはなんかアレ(;´∀`)
経済学とIT、法律を学びたいと思う
しばらく会計のお勉強記事が続いていたので、今日は僕自身の中長期での意見表明をしてみようかなと思う。
言いたいことはタイトルの通りだ。
なんでこの3つをやりたいのかというと、これらがビジネスの最もコアの知識になると想定していて、さらにこの3つに補完性があるからだ。
*補完性っていうのは平たくいうと、その組み合わせだと1+1が2より大きくなるよってこと
◆経済学
経済学は、有限な資源の中から、いかに価値を生産し、いかに分配していくかを考える学問だ。
有限な資源の中には、お金や土地、レアメタルのような有形のものから労働力のように無形のものまで含まれる。
ミクロ経済学では特に、消費者や生産者といった個々の主体の行動について取り扱う。
最適な資源の配分には選択肢があって、その中からどれが最適なのかを考える。
これが企業の戦略や企業内部の分析のための強力なツールとなるのだ。
自分自身の日常的な行動だって、最適な行動はどれか、ということを考える上で役に立つ。
◆IT
僕は日系SIerに勤めることになるので、まあそういう意味でも仕事で役に立つんだけど、それだけじゃない。
極論いってしまえば、「IT化を進めていくと自分1人で仕事が全部できる」んじゃないかなと僕は思ってる。
営業に行く代わりにウェブ広告を飛ばして、会計や流通管理はシステムにやってもらって、製品は自分が3Dプリンタを使ったりプログラミングしたりして作る。
自分で全部やるから、一人ひとりが持つべき知識が多くなってくる。・・・みたいな?
ITによる業務改革というのは決して曲げられない流れで、しかも20年以上前から始まっているのだ。
その流れの先鋒を切ったのが、Michael Hammerの'Reengeneering the Corporation'だ。
邦訳だと「リエンジニアリング革命」となっている。まあ要するに、BPR(Business Process Reengineering)という概念を生み出した人なのだ。
この本は90年代中盤のベストセラーになっている。
経営戦略の文脈でも触れられていて、「経営戦略全史」にも載っている。
ただ、まあ人のクビ切ったり情報システムを総とっかえしないといけなかったりと大変で、当時はBPR上手くいかなかったらしいんだけども。
第4章「ハマーの破壊的リエンジニアリングは自分自身も壊してしまった」から引用。
「しかし、あまりの実現の困難さと誤用の末に、「リエンジニアリング」熱は一気に冷めてしまいました。
(中略)ハマーたちのリエンジニアリング革命は、劇的にその勢力を拡げた後に、それに類するケイパビリティ派の活動(タイムベース競争戦略など)を呑み込んで破壊し、ともに墜落していきました。1999年、リエンジニアリング革命の象徴だったCSCインデックスは、ついに抜本的な改革(つまり清算)をされました。」
当時は失敗したけれども、何かまだBPRやってる企業たくさんあるよね。
今後、労働市場が流動化したり、情報システムの取り換えコストが安くなったりしていく中で重要になるんじゃないかな、と僕は思っている。
その例というわけじゃないけど、面白そうな考えの本があったので(僕はまだ読んでないけど)紹介しておく。
Brett Kingの'Bank 3.0'だ。
内容紹介のところを見るに、ネットバンクみたいな感じで、銀行にはいかないで用事を済ませちゃおう。スマホやタブレットで。というところかな。
たしかにネットバンクで済んじゃったら銀行の店舗を全国におく必要がなくなるよね。
で、これまでそういうところに行ってた人の雇用がなくなるよね。その人たちが新しい産業を始めれば、イノベーションが起こせる!・・かもしれない。
ITってのはてこだと思うんだよね。自分がプログラミングした通りに、コンピュータに処理させるわけ。
自分でやらなくてもいいことが多ければ、自分はもっとコアでクリエイティブな部分に集中できる。
どんなゲームを作ろうかな、どんなフィギュアを作ろうかな、どんなものが売れるのかなって具合に。
追記:BPRよりも最近はBPO(Business Process Outsourcing)とかクラウドとかの方が人気かな。
◆法律
法律も大事だ。ってまあ、これは言うまでもないかもしれない。
せっかく儲かりそうなものを見つけても、それが法に触れるようだったら牢屋行きだから。
○補完性について
僕は冒頭で、法律と経済学とITには補完性があるといった。
僕の専攻はマーケットデザインという分野で、卒論では家庭教師制度の分析なんてものを取り扱った。
マーケットデザインは市場を効率的にするために一定のルールを設けようというもので、
このルールというものが、国単位では法律になるわけだ。
僕が法律を作る立場になる、ということはないだろうけど、ロビイングをすることはあるかもしれない。
どの法律が自分に得で、どの法律が自分に損なのか。または、法律をどう利用するのか。
そういったことを考えることができるので、法律と経済学には補完性があると考えている。
それから、ITについて。前述のとおり、IT技術のおかげで1人でビジネスができる。
といっても、自分が技術を知らなくてもいいじゃんって反論があるだろう。
そういうインフラ自体は他の人が整えてくれるから、OK。
これはたしかにその通りだと思う。商材自体はITと関係なんかなくたっていいはずだ。
ホームページだってある程度のテンプレで作れるし、広告もグーグルに任せればいい。
ただ、ITを使うと「よりお得」だとは思うのだ。
ソフトウェアの特性っていうのは、限界費用(もう1個同じものを作ったときにかかる費用)が限りなく低いってことだ。
これこそがさっき言った「ITはテコだ」って話の中核で、
経済学で「何が儲かるのか」がわかり、法律で「それが合法なのか、得する制度はないか」がわかり、ITで「それを大量に作ることができる」わけ。
こういった理由から、僕は経済学とITと法律を主軸にすえようと思う。