日本の雇用慣行とその歴史 ②(濱口佳一郎『日本の雇用と中高年』より)

さて、随分と間があいてしまったが、またこの本から引用して日本の雇用制度を見ていきたい。

前回は戦前から1970年前後までに、配置転換のために企業内部でジョブ型雇用制度の導入を断念する流れを見てきた。
今回は、1973年の第一次石油危機を境に、政府の政策としてもメンバーシップ型を支持するようになってきたこと、
雇用調整の手法、日本型雇用を理論的に支える内部市場論および知的熟練論が広まったことを紹介したい。

前回の記事と同じように、太字などの部分については僕が修正を加えた部分だ。

p.52「日本の雇用政策が外部労働市場志向型から内部労働市場志向型に転換したことの方性的表現は、一九七四年一二月に成立した雇用保険法である。同法は失業保険法の改正であり、当初は失業給付の切り下げだとして総評や雇うが反対し、いったん廃案になっていました。しかしこの法案の中に書かれた小さな規定、経済変動に対処するために雇用調整給付金を支給する根拠規定(第62条第1項第4号)が、世の中を動かしていきます。石油危機の影響で雇用失業情勢が厳しさを増し、一時休業や一部には大量解雇まで現れるようになると、もとから賛成だった同盟に加え、反対だった中立労連や総評加盟の民間組合からも助成金の早期実施の声が続出しました。こうして、危機に対する雇用維持を可能にする法案としての期待を背負って再度国会に提出され、年末に成立するが早いか、翌一九七五年一月から直ちに雇用調整給付金の大量支給が始まったのです。」

p.53「同給付金は、労働大臣が指定する業種に属する事業を行う事業主で、経済的理由により事業活動の縮小を余儀なくされたものが指定期間内に休業を行い、休業手当を支払った場合に、手当総額の二分の一(中小企業は三分の二)を支給します。」

p.53~54「雇用保険法自体は政策当局としては意図せざる政策転換という面が強かったのですが、その後に策定された経済計画は、政策思想の転換を明確に謳いあげるようになりました。すなわち、一九七六年五月に閣議決定された「昭和五〇年代前期経済計画」は、「経済変動に際して失業の防止を重点に雇用の安定を図る」と、雇用安定政策を正面切って打ち出しています。
 これを受けて、一九七七年五月の雇用保険法改正では、雇用保険法の目的に初めて「失業の予防」という言葉を明記するとともに、雇用改善事業から雇用調整給付金を取っ出してきて雇用安定事業として独立させました。給付対象となる企業行動も、休業だけではなく教育訓練や出向にまで広げられました。そして雇用安定事業に必要な財源として労働保険特別会計の雇用勘定に雇用安定資金を設置したのです。
 しかしここでは、雇用安定事業の目的がそれまでの景気変動への対応から産業構造の変化への対応にまで拡大された点に注目しておきたいと思います。新たな雇用安定事業は景気変動等雇用調整事業と事業転換等雇用調整事業の二つからなります。景気の変動すなわち短期的な景気循環に伴う雇用調整に対する対策だけではなく、中長期的な産業構造転換をも対象に含めたのです。前者は欧州諸国でもその例が見られますが、後者は産業構造転換に対応する教育訓練という本来的に政府の雇用政策自体の役割と考えられてきたことを、企業内部の雇用維持措置の一環として行わせようとするものとして、日本独自の政策方向に大きく足を踏み出したものと言えるでしょう。」

第一次石油危機を転機に、コストカットや中長期での産業構造の変化といった理由でリストラをしないといけなくなった。
民間では配置転換といったことで対応するようになっていたのだが、これを政府が後押しするように、「雇い続けること」に給付金がもらえるようになったのだ。

ちなみに、リストラの対象としては当時から中高年が狙い撃ちにされていた。ここについても引用しておきたい。

p.56「とはいえ、石油危機以後一九七〇年代を通じて、企業現場で着々と実施され、マスコミ等でも注目を集め続けたのは、中高年を狙い撃ちにした人減らしでした。朝日新聞経済部『雇用危機』(一九七八年一〇月刊)、毎日新聞社『雇用SOS』(一九七九年二月刊)などにまとめられた当時の新聞連載記事には、「受難の中高年」といった文字が乱舞しています。前者から引用すると、

……企業の人減らしは、いまや完全に中高年層に照準が合わされている。……希望退職とは名ばかりで、勇退年齢をはっきり公示し、肩をたたき、あすにも会社がつぶれそうな危機意識を植えつけて、対象者をやめないではいられないような気持ちに追い込んでいる例が目立つ。
……なぜ、企業は経験の深い、働き盛りの中高年をやめさせようとするのか。……社長は「高齢者は体力的に落ちてくる半面、給料は年功序列だから高くなるので、高齢者からやめてもらうことにした」と説明している。また、……総務部長は「会社再建のために、同じやめてもらうなら、年配の方からというのが、今や世間的なルールになっている」と明快だ。
……年齢給や家族手当がふえるから、中高年の賃金が高くなるのは当然のことだが、その差は年々小さくなっている。しかし、企業の立場から見れば、まず賃金の高い中高年を減らして、人件費負担を軽くしたい、というのが共通した狙いとなっている。」

この調子だ。雇用調整については、以下のようになっている。

p.58~59「経済危機の中で「首を切らないようにする」ために、何をどのような手順で実施すればよいのか。雇用保険法施行と時を同じくして一九七五年一月に刊行された日経連『経営労務の指針一九七五年版』は、「合理化の具体的な方法とその留意点」として、次のような順序を示しています。
 まず時間外規制などから始まり、次に結びつきの弱い人から順に整理していきます。
①パートタイマー、臨時工、季節工などの整理、②入口(採用)規制としての新規学卒者の採用中止、③欠員不補充(自然減耗による人員削減)、④定年後の再雇用中止など。この後在籍従業員の雇用調整に入りますが、そこでも順番は配置転換、出向、一時帰休、希望退職者募集、指名解雇です。
 配置転換や出向は、それまで主として従業員の能力開発にウェイトを置いて実施されてきましたが、不況対策における業務の繁閑調整機能、あるいは工場移転等の事情で行われる場合の留意点が細かく書かれています。この時期は、後述の日本型雇用法理がけいっ精される時期であり、そこにはこうした雇用維持目的で頻用された配置転換や出向の現実が映し出されています。」

さて、ここからは内部労働市場論についての話になる。

p.81「こういった評価の逆転を学問的に説明しようとして当時持ち出されたのが、アメリカ由来の内部労働市場論でした。一九七一年にドリンジャーとピオリという労働経済学者が著した『内部労働市場とマンパワー分析』(邦訳は二〇〇七年に早稲田大学出版部)を、一九七四年に隅谷三喜男氏が紹介し、瞬く間に広がっていきました。それは、アメリカでも年功制的労使関係が見られ、それは日本的特殊性ではなく、資本主義発展の独占段階において一般的に形成されるものだという考え方です。」

p.82「しかし知識社会学的にいえば、当時の日本は日本型雇用システムの正統性を論証する理論を必要としていたのであり、日本的内部労働市場論はその需要に応じるものであったのでしょう。実際、その後はむしろ小池和男氏の知的熟練論(たとえば『日本の熟練』有斐閣、一九八一年)が、内部労働市場論の代表として広く受容されていくことになります。やや皮肉な言い方をすれば、小池理論とは総評が地力では展開できなかった職務給に対する理論的反駁を、経済理論を駆使してスマートにやってのけた(ように見えた)もののように思われます。そして、ここで失われたのは、それまで曲がりなりにも口先では維持されてきた同一労働同一賃金原則でした。そんな「古くさい」代物は誰からも顧みられなくなってしまったのです。
 知的熟練論のロジックを展開した小池和男氏の『日本の雇用システム その普遍性と強み』(東洋経済新報社、一九九四年)から、職務給を評価できない理由を述べた部分を見てみましょう。

 知的熟練の向上度を示す中核的な指標は、(a)経験のはばと(b)問題処理のノウハウである。このふたつは、ふつうの報酬の方式では促進できない。多くの国の生産職場で最もふつうの報酬方式は、仕事給pay-for jobであろう。職務ごとに基本給をきめる。むつかしい仕事につけば賃金はたかく、やさしい仕事では賃金はひくく、しごく当然とおもわれよう。……だが、いずれも知的熟練の形成には役立たない。なぜか。
 知的熟練の第一の特徴、経験のはばの広狭が、仕事給では把握できない。仕事給とは、その時ついている仕事によって基本給がきまる。いまA、Bふたりの労働者が、まったく同じ仕事についているとしよう。しかし、経験のはばは大きくちがい、Aはその職場の他の一四の仕事全部を経験し、いつでも欠勤者の代わりもでき、新入りに教えることも、問題処理も上手だとしよう。他方、Bはいまついている仕事しか経験がなく、当然欠勤者の代わりなど一切できない、としよう。それでも仕事給ならA、B両人はまったくおなじ基本給となる。それでは、Aの貢献にたいし、なんら報酬がはらわれない。変化や異常に対処する知的熟練という面倒な技能を、身につけようとするインセンティブがなくなる。」

p.84「議論としてはまことに筋が通っているように見えますし、実際白紙の状態で「入社」してジョブローテーションでいろんな仕事を一つ一つ覚えていく途上にある若年期においては、このロジックが当てはまる可能性も結構高かったのであろうと思われます。問題は、生計費がかさんできて年功賃金のありがたさが身にしみるようになる中高年期に至っても、このロジックがそのまま適用できるのか、という点でしょう。本音でそう思っているのか、それとも建前論にすぎないのか。それは、現実の企業行動によってしか知ることは出来ません。好況期にはそのロジックを信じている振りをしている企業であっても、いざ不況期になれば、「変化や以上に対処する知的熟練という面倒な技能を身につけ」たはずの中高年労働者が真っ先にリストラの矛先になるという事実が、その本音を雄弁に物語っているように思われます。」

この「日本型雇用」というのは、ポストモダンになるまでは上手くいっていたんだろうなあ。
石油危機もコストカットで乗り切り、政策的な低失業率により社会的な安定も得、高経済成長を進めていた日本。
ジャパン・アズ・ナンバーワンとも称され、先進各国との貿易摩擦が激化していく。
いわゆる「勝ち過ぎ」って状況だったんだな。

さて。ここからの方向性に悩むな。
若年・中高年の雇用を比較して世代間対立についてまとめるのも良いのだけれど、
成果主義の導入とその失敗について引用するのもありだな。

まあ、おいおい考えるとしようかな。
一通り終わったら、図を書いたり僕の意見を入れてまとめることにしたい。

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